山根塾奮闘記
小学生から社会人までを相手に日々奮闘する山根塾鬼塾長の苦悩。

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教師の鬱

 先日、教育委員会の人事担当とお話をする機会があった。彼の話で一番興味を引かれたのが「教師のうつ病」のお話。

 教師という仕事は特に「前年度を引きずりやすい」性質を大いに帯びており、これまで前任校で自信に満ち溢れていた教師に限って新天地?で「うつ状態」を引き起こす事例が頻発するそうだ。ひどいケースになると「教室に行く時点で足が震え、入室もままならない」重症の状態に陥ることも。

 このケース、ワタクシにはよく理解できる。前任校で生徒からの人望もあつく、つねに自分に自信を持って常に充実感の高い授業を展開してきた場合、環境が変わると教師自身のスイッチの切り替えが上手く行かなくなるのだ。つまり、「すべてが自分の実力によって上手く行った」という錯覚が生じるわけで、その錯覚をそのまま引きずると、「こんなはずではなかった」という思いが次第に焦りにかわり、ものの一月もしないうちにそれは「うつ状態」を誘発する。ワタクシ自身、何度も危ういケースを経験してきただけに、よくわかる。早いうちから、「あれは生徒と自分との波長がたまたまピッタリ合っていたからこそできた技なのだ」ということに気づけば、回復は早い。教師の五月病を経て、ちょうど今ごろはほどよいスタンスで生徒に対峙できているはずであろう。

 生徒はたとえ同じメンバーであっても毎年その表情、興味の対象、ひいては価値観、人生観までもがめまぐるしく変化する。変わってないのは結局自分、つまり教師側ということになる。変わる必要もないのだけど、生徒が変わってきているという「現実」を受け止めて理解するだけの「許容範囲」はどうしても教師側に必要だ。

 急なスイッチの切り替えはもちろん不可能。「現実」を受け止めるには、いかに百戦錬磨の教師といえども若干の時間的猶予がいる・・・・それが、ワタクシは、「教師の五月病」だと思っている。だから、教師には「五月病」は必要なのだ。それが一時的な「病んだ状態」だということを素直に認識できればなにも問題は無い。6月からは徐々にジョークも決まり始めるし、生徒も慣れて来たぶん、だんだんとむこうから話しかけてくることも多くなり、「最初は××だったけど、いまは○○」みたいな「場面」がだんだんと増えていき、今まで嫌で嫌で仕方が無かった授業も、「アタリマエの光景」として定着していく。

 一年は長い。だからこそ、ワタクシはこと学校業務に関しては、最初からなるべく「花火を打ち上げない」ようにしている。いったん打ち上げてしまうと、次にはさらに「華やかな花火」が必要になってしまうからだ。それでは教師が持たない。途中で息切れを起こすのは目に見えている。

 4月の時点で「いやでいやで仕方が無かったクラス」・・・・今はほどよく生徒と調和してほんといい具合に授業がすすんでいる。不思議なもので、わかってはいるのだけれど図らずも「花火を打ち上げてしまったクラス」・・・・ちょっと軌道修正に体力を費やす日々が続いている(笑)。これは自業自得・・・そう!わかっていればそれでいい。当面夏休みまでは気の休まる「瞬間」は・・・ない。


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