山根塾奮闘記
小学生から社会人までを相手に日々奮闘する山根塾鬼塾長の苦悩。

期待は裏切られる

いい意味でも悪い意味でも、たしかに期待は「裏切られる」ことが多い。

先日高2といっしょにやった英文解釈に次のようなものがあった。

 Our expectations are often deceived. Things which we feared might do us harm turn out to be our advantages, and what we thought would save us proves our ruin.

昔いた高校で、自分の好きな生徒ばかりを「意図的に」ひとつのクラスに集めて自分が担当する先生がいた。当時から「えり好みはしない」と心に決めていた私のところには、いわゆる「こぼれた生徒」が集まる。最初のうちはやはり授業に出向くのが「いや」(笑)。ところが人間ある程度の期間付き合ってみなければわからないもので、一年が終わってみて「はずれくじだった」と感じたことは一度もない。とくにワタクシ個人が努力して熱血教師になってたわけでもなく、むしろごく普通の先生でしたけど、なんだか「いい子」ばかり。

これって、いい意味で裏切られた期待。はたして「えり好み先生」にはこの逆の「裏切られた期待」があったのか?それは定かではないし、どうでもいいことだけど、この英文を読んでいてふと思い出した昔のひとコマ。

その点公立高校の場合(昔いた高校は私立)、いい意味でも悪い意味でも「公平」だ。えり好みが入り込む余地がない。たとえば成績で一クラスを2分したとき、上のクラスと下のクラスを担当するコマ数がどの先生にも均等になるように配慮される。つまり、できる生徒だけ教えて自己陶酔に浸っていることができないシステム(笑)。

できない集団を教えるのはメッチャしんどいのだけど、歯車がいったんかみ合い始めるとオモシロくてたまらなくなるのがむしろ「できないやつら」の方であることが多い。できるクラスはそれはそれで一年平和だから、こっちも好きだけどね。

3年前娘の高校卒業式に出た際、各教室で担任の先生と最後のお別れをする場面で、「このクラス、最初はいやでいやで、はやく一年おわんないかしら・・・なんて思っていたけどね〜」と感慨深そうに先生がお話しされてました。本音でしょうね。一年辛抱して付き合ったからこそもてる気持ちってものがありますよね。生徒たちはみな涙ぐんでおりました。とってもいい卒業のひとコマ。

結局、人って、当たり前のことだけど、ちょっとつきあったくらいではよさも悪さも見えてこないもの。教師ならいやでも一年付き合わされるから、しんどいのをなんとか乗り越えた先にあるのははずれくじであろうはずがないではないか。

2年前教室で大暴れしたクラスがある。かれらもいよいよ卒業だ。授業は今年は担当してないけど、廊下ですれ違ったときの彼らの顔の表情が、イイ♪この暴力教師であるワタクシとの立ち話も楽しそう。話をやめるのが名残惜しいくらい。なんでだろうね?お互い自分の心底からのものをぶつけあったからなのだろうか?歯車がかみ合ってなかったようで実はかみ合っていたのかもしれないし、はっきりいってよくはわかりません。ただ、彼らに対するワタクシの気持ち、また彼らのワタクシに向けた気持ち、その双方に心地よいものを感じる今日この頃です。

今日、ある高1の生徒を叱り飛ばした。すると彼は「保健室に行く」(笑)といって教室を出て行った。出際に「お前の行き場は一生保健室なのか?」(彼はいつもココに逃げる子)と言ったが、ロッカーを思いっきり蹴飛ばして出て行った・・・・・はたして彼はワタクシにとって「いい期待はずれ」になってくれるだろうか?楽しみでもある。



女の子モード


 やはり秋はもの書きのシーズン。滅多に更新しない日誌?だけど、自分の中ではちゃんと活きている。

 特に何を書くとか、こういうメッセージを発信したいとか、そういうのすべて抜きにして、とにかくものを書いてみたいと思わせる季節が秋。

 今日はめずらしく学校で女の子づいていた。意図したわけではないのだが、何度も廊下で女の子に捕まって立ち話を繰り返した一日。

 昼休みにたばこ休憩から車で戻ってきたワタクシに、物陰から少女AとBが声をかけてきた。

 A&B 「せんせ〜、その車で私たちをどこか遠くへ連れてってェ〜〜〜♪」

 《こいつらなに考えとんぢゃ(笑)》

 先生 「おっおっおまえらぁ〜、なんちゅうことを言うの!?」

 A 「な〜んか、とにかく人ごみがいやになったんよ〜。クラスのみんなとか、一年生の楽しそうな顔とか・・・んも〜、ウザイ!!」

 B 「ワタシタチ、なが〜いトンネルの中に入ったみたい。」

 《なんぢゃそりゃ〜。おいおい、こりゃちょっと邪険にできそうにもないの〜。なが〜いトンネルね〜・・・なかなか文学的センスのある言い回し。どこでならったの?そんな表現・・・笑》

 昼休憩であったことが幸いしてか?あるいは災いしてか?その場に少し居座って彼女たちのお話を聞いてあげることにした。まっ、よくあるパターンで先輩たちはみなそうやって迷路に迷いながら、今では立派に???3年生だ。たぶんほっといても回復はするだろうけど、行きがかり上話だけは・・・ねっ。さんざん話し倒された挙句、当面のカンフル剤として、ワタクシ自身をもう地の底におとしめる話をしてあげて、相対的に彼女たちの気分をいくらかよくしてあげる策をとった。

 先生 「ときどき自分で自分が情けないくらい、自分のいい加減さに嫌気がさすな〜。」

     「情けないけど、結構顔は生き生きしとるじゃろっ。釣りのことしか考えとらんけ〜。それにくら     べたら、悩むだけいいんじゃない、チミタチ♪」

 な〜んか、よく覚えてないけど・・・それほど内容のない話だったってことなのだが・・・こんな感じでしこたま自身の地位を格下げして、逃げるようにその場を立ち去りホッとしたのも束の間。こんどはC子とD子だ。こいつらちょっと性質悪いかもと思いながらも、結局捕獲される(笑)。

 C子 「せ〜んせっ、ちょちょちょ。逃げたらいけんよ。うち(=私)の悩み聞いてえ〜やっ。あのね、彼氏と英語でメールしてるんだけど〜、わたし英語ぜんぜんダメぢゃけ〜、かわりにこれ打って欲しいんよ・・・・ワタシエイゴゼンゼンダメ。エイゴデメールヤメマショ〜・・・コレ英語で打って欲しいの♪」

 先生 「おっと、オマエの彼氏外人か!?どこでゲットしたの?」

 C子 「んっ?出会い系〜♪」

 先生 「なんぢゃそりゃ!そりゃ付き合い自体止めとけ。わしがその旨メールしちゃろ〜。」

 結局、お別れメールの原文を作成させられるハメに。


 やっと英語科の部屋へ戻れると思ったそのとき、EFGH・・・・子たち、何人いるんぢゃおそろし〜。それにも〜よそのクラスからXYZまででてきた〜(汗)。

 やつら 「せんせ〜。メタボのチェックしてあげよ〜。お腹触らせんさい!ちょっとつまむだけぢゃけ〜。」

 先生 「通常1回1000円じゃが、今日は10円」

 ちょっと調子に乗りすぎた。も〜、痛いくらいつまみまくられて、やっと研究室にたどりつく。



 フッ、疲れ果てました。授業もこのテンションでないと彼女たちには太刀打ちできません。心なしか・・・めまいが(笑)。





教師の鬱

 先日、教育委員会の人事担当とお話をする機会があった。彼の話で一番興味を引かれたのが「教師のうつ病」のお話。

 教師という仕事は特に「前年度を引きずりやすい」性質を大いに帯びており、これまで前任校で自信に満ち溢れていた教師に限って新天地?で「うつ状態」を引き起こす事例が頻発するそうだ。ひどいケースになると「教室に行く時点で足が震え、入室もままならない」重症の状態に陥ることも。

 このケース、ワタクシにはよく理解できる。前任校で生徒からの人望もあつく、つねに自分に自信を持って常に充実感の高い授業を展開してきた場合、環境が変わると教師自身のスイッチの切り替えが上手く行かなくなるのだ。つまり、「すべてが自分の実力によって上手く行った」という錯覚が生じるわけで、その錯覚をそのまま引きずると、「こんなはずではなかった」という思いが次第に焦りにかわり、ものの一月もしないうちにそれは「うつ状態」を誘発する。ワタクシ自身、何度も危ういケースを経験してきただけに、よくわかる。早いうちから、「あれは生徒と自分との波長がたまたまピッタリ合っていたからこそできた技なのだ」ということに気づけば、回復は早い。教師の五月病を経て、ちょうど今ごろはほどよいスタンスで生徒に対峙できているはずであろう。

 生徒はたとえ同じメンバーであっても毎年その表情、興味の対象、ひいては価値観、人生観までもがめまぐるしく変化する。変わってないのは結局自分、つまり教師側ということになる。変わる必要もないのだけど、生徒が変わってきているという「現実」を受け止めて理解するだけの「許容範囲」はどうしても教師側に必要だ。

 急なスイッチの切り替えはもちろん不可能。「現実」を受け止めるには、いかに百戦錬磨の教師といえども若干の時間的猶予がいる・・・・それが、ワタクシは、「教師の五月病」だと思っている。だから、教師には「五月病」は必要なのだ。それが一時的な「病んだ状態」だということを素直に認識できればなにも問題は無い。6月からは徐々にジョークも決まり始めるし、生徒も慣れて来たぶん、だんだんとむこうから話しかけてくることも多くなり、「最初は××だったけど、いまは○○」みたいな「場面」がだんだんと増えていき、今まで嫌で嫌で仕方が無かった授業も、「アタリマエの光景」として定着していく。

 一年は長い。だからこそ、ワタクシはこと学校業務に関しては、最初からなるべく「花火を打ち上げない」ようにしている。いったん打ち上げてしまうと、次にはさらに「華やかな花火」が必要になってしまうからだ。それでは教師が持たない。途中で息切れを起こすのは目に見えている。

 4月の時点で「いやでいやで仕方が無かったクラス」・・・・今はほどよく生徒と調和してほんといい具合に授業がすすんでいる。不思議なもので、わかってはいるのだけれど図らずも「花火を打ち上げてしまったクラス」・・・・ちょっと軌道修正に体力を費やす日々が続いている(笑)。これは自業自得・・・そう!わかっていればそれでいい。当面夏休みまでは気の休まる「瞬間」は・・・ない。



病んでいる?

「病んでいる」・・・・この言葉,最近学校でちと流行気味。

ワタクシが見るに、ここ最近、生徒のみならず先生も疲れている。ここ2〜3年はこういう現象が自身なかっただけに、忘れていた・・・・そう、「五月病」。

ほんと、「五月病」とはよく言ったもんだ!!いつの年度も、やはり5月はお互い(生徒も先生も)疲れ果てる時期なのである。ここ2〜3年、自分にその兆候が無かったのは奇跡に近い。

お互い「ダラ〜ン」とした雰囲気で授業が進行していく。やがてアチコチで「授業気だるいサイン」が生徒の方から出始める。

「センセ〜イ、キョウハスコシハヤク止めようヤ〜」・・・その甘えた声は教師の心理をよく読んでいる。決して直接的ではなく、あくまで「提案」なのだ(笑)。が、これに「乗った」らもうオシマイ。「乗っかりたい」のは山々だが、はっと我に帰って、しつこい生徒には「ここは義務教育ではないのだから、やりたくない者は去れ!!」・・・決まった!本人の本意とはうらはらに、けっこうビシッと決まりました(笑)。

その生徒、いつもはあまえてばかりのほ〜んと未成熟なやつなのだが、かつを入れられた瞬間、それまで閉じていた教科書は開くは、ノートを探すは・・・もう見ていてとってもラブリー♪




 先生も疲れているのです。あまり怒らせないように(笑)。



 やっと五月が終わりますね。来週からもっと過酷な6月です。とうめん闘いの日々は続く。




「生きる」という意味を知る

 その昔、ペットを飼った。数年後、離れの倉庫で静かに息を引き取った。そのとき、「死」というものをはじめて認識した。


 それから数年後、肉親を初めて失うという経験をした。ワタクシにとっての避難の場所であり、安堵の場所であった祖母。すでに幼い記憶は薄れつつあるのだが、学校帰りに大便がしたくてたまらなくなった時、いつも祖母の家に「ば〜ちゃ〜ん、ウンコ〜!!」と叫びながら駆け込んでいたものだった。つまり、それがワタクシにとっての避難所。かなり常習化していたことを顧みると、その駆け込む瞬間が自身にとってかなりの「快感」となっていたようである(笑)。用を足した直後いただいたおやつのおししいことといったら、とても言葉では表現しきれない。つまり、それが安堵の場所。ワタクシが小学校5年生のクリスマスイブ・・・そのときを最後にこの「快楽」は終止符を打った。初めて葬儀というものに参列し、それまで実体感のあった祖母が骨になるところまでをすべて経験した。で、「死」というものが人間にとって避けられないものであることを悟った。それから数ヶ月間というもの、夜が怖くて怖くてたまらなかった・・・のをハッキリと記憶している。「死」ということの認識・・・たかだか小学5年の純朴な?(笑)少年にとってはあまりに酷な宣告であったに違いない。


 その後、青春時代を迎えて何ら悩みのない楽しい日々が続いていたのだが、その刹那にも、同級生の自殺、同じ寮で暮らしていた友の自殺という、ショッキングは事態にも遭遇した。自分とは無縁と思われていた世界があることの認識・・・これはこれで、さほどショックは大きくなかったのであるが、それも、やはり自身の当時の何も苦労のない人生のおかげであったのかもしれない。自殺という行為はすでにテレビや新聞では多く見聞きしていたわけで、身近なところにそういう人がいたということを若干ショックには感じてはいたのであろうが、そのショックを相殺してしまうほど、自身には当面の鮮明な目標設定があったし、そういうことをすぐにわすれさせるほど当時の人生は楽しくかつ忙しかった。


 大学を出て、仕事を持った。当時は自身をも含めて、知人の結婚ラッシュだ。人間の幸せの絶頂をすべての人からいただいたし、自身もこれが永遠であって欲しい、いや、こういう楽しい時期が永遠に続くものと錯覚する一時期であった。


 今のワタクシの人生は、いわばこの延長線上にある。釣りという趣味を持ち、大切な友も新しく出来た。「獲物を獲る」という純粋な行為のみを媒介とした純粋な趣味の友。利害関係が一切介在しない世界ならではの心地よい友だ。こういうのはハンドボールを通じて培われた友情以来とも言える。


 昔の職場でお父さんを早くに亡くされた先生とお話させていただく機会が幾度となくあった。「死」というものが、時と場所を選ばないということを、この方とのお話の中で、実体感がないままではあったが、納得した気分になっていた。その方のお気持ちをどれほど理解してあげていたのか?今では恥ずかしいくらいに、あたかも自身が心底理解しているかのように「語り合って」いたような気がする。


 やがて、祖父の死に直面した。この死はまさに壮絶な闘いであった。見舞いに行くのが辛くて胸が締めつけられるほど、本人は苦しみもがいたあげく、逝ってしまった。人の死がこれほど苦しく、かつ見苦しいほど壮絶なのか??・・・やっと逝ってくれたことに正直安堵し、本心から「やっと楽になれたね」と言ってあげられた。かなりきつい体験であったが、ずっと付き添っていた祖母にとってはまさに骨身を削る数ヶ月であったにちがいない。当時40になりかけた自分の「健康」を案じた一瞬でもあった。病魔による死がいかに惨めで後悔の念に耐えないものか、・・・自身の健康は自身が管理しなければ・・・それが祖父のくれた大切なメッセージ(時が経てしまえばわすれてしまうメッセージ・・・悲しいかな)。


 そして、今・・・昨年の友人の事故死、このたびの親友の過労死。永遠だと思っていた楽しい日々と楽しい語らいが突然ストップ。これには正直、自分の方向を見失ってしまうほどのショックを受けたし、未だに一人になると考え込んでしまう。まったく想定していなかった死だけに、なかなか実感が湧かない。普通にどこかでまだ生きているような気がしてならないのだ。とにかく、とうぜんのことながら何のメッセージもなし、思考がまとまらない。しかし、こういう「死」からも、学ばなければならない年齢になっていることだけは確実。


 「死」から学ぶこと・・・それは「生きる」ということ。一見矛盾しているようには見えるが、我々は「生き」ながら「死ぬ」ということを学ぶし、「死」から「生きる」ということを学ぶ。とてもキツイ経験ではあるのだが、もはや年齢的にもそれを避けては通れない時期にあるのだろうな〜。覚悟を決めたなら、また歩み始めるのみ。親友の死からハッキリと貴重な心のメッセージを受け取った。ならばそれでよい。ワタクシにできること、それは残された人生を歩むことのみ。


 親友よ!また会おう!それまでは、しばし君たちのことは年に数回だけ、悪いがそれだけ、思い出したときにまた語り合おう。それではまた。